
小松と言えば勧進帳、安宅の関が有名だが、義経と同時期に生きた小松生まれの女性に、仏御前がいる。
仏御前は1160年に小松の原町で生まれた。絶世の美人で歌舞に優れ、1172年、14歳の時に京に上り、白拍子となった。その美貌と優れた演技で、時の権力者平清盛に寵愛を受けることになるが、それまで清盛の寵愛を受けていた祇王が失意の末に出家してしまう。それを知った御前は、わずか半年で清盛のもとを去り世の無常を悟り、彼女も出家する。その後、1176年に故郷である原に帰って小庵にこもり、余生を送った。
その仏御前の乾漆座尊像を昭和の初めからお守りしているのが、原町の林 美江さん。突然お伺いしたにも関わらず柔和な笑顔で仏御前についてお話していただいた。
小松の原町は、いにしえの昔、百済から渡ってきた白狐が僧に姿を変えて阿弥陀経を唱えていた霊地として、「弥陀ヶ原」と呼ばれていたらしい。花山法皇が那谷寺に参詣された際に、その由来に感動してこの地に五重の塔を建てられ、その塔守として京都から赴任した白河兵太夫の一人娘が仏御前。
ちなみに、花山法皇は、一条天皇に皇位を譲ったのちに小松の地を訪れ、加賀三湖を見渡す丘陵地(今の今江)に滞在していた。その地は、現在「御幸塚(みゆきづか)」と呼ばれているが、小松市の「小松」という名称も、法皇が梯川あたりに広い花園を作って、稚松(小さい松)を大切にしていたということから、その地を「園の小松原」と呼ぶようになったからだという。(ちなみに那谷寺の名称も法皇がつけたもの)
その仏御前をモチーフにしたミュージカルが小松の市民劇団「リトルパインシアター によって7月14日、15日に上演される。
義経と一歳違いで、義経の恋人だったという説もあるという、仏御前。
原町で林さんがお守りしている像は、写真のとおり、首が太い。これは実際に仏御前を目の前にして仏師が像を創ったからだと言われている。











